「二ノ宮さん、明日からうちの課で働いてもらうことになった新入社員を新人教育してほしいんだけど」
「あー?」
「あー?じゃなくて。珍しく新入社員入ってきたから。すごく真面目な子らしいから。新人研修して」
「別にいいんですけどあたしが新人研修したら世間一般の真面目な新入社員は翌日退社するんじゃないでしょうか」
「いや、別にそれならそうなってもかまわないから、とりあえず新人研修をしたという事実さえ成立すればそれで会社としては構わない」
「どういうことwww」
「これこれそうなってああいうことでどうなったらグッときてイエーイ。ここまでOK?」
「はい、だいたいわかりました。不明なことがあったら伺います」
「じゃあ藍沢さん、今から会員の方から人材派遣の問い合わせがあったときのシミュレーションをしましょう。レジュメの8ページを開いて、けれどその例文を読み合わせてもきっとイレギュラーな事態が多いから、最終的にはあなたのアドリブ力が試されると思うんだ。間違っていたら中断するから、やってみましょうか」
LuLuLuLuLuLu
「お電話ありがとうございます、多目的人材派遣のKI-TSU-NEスタッフ、担当の藍沢絢でございます」
「あっ、あのう、ふへへへへ、わたくし、そ、そちらの会員になりました者なんですけれども、ぐへへへへへ」
「…」
「あ、あのう、今日はぁ、そちらで人材派遣のスタッフのかたをぉ、お願いしたいんですぅ。ふえーっへっへっへ」
「…」
「…応対は。どうしたの」
「…あ、あの。すいません。ちょっとびっくりしちゃったものですから」
「いや、ここで中断するのはおかしい。ちょっと。いいかな。うーん。どう説明しよう。藍沢さん、あなたはストーカーとか精神病のひとと電話で会話をしたことはあるかなあ」
「す、すいません、それは、ありません」
「ちょっとここは譲れないラインだな。半分健常でない人間の電話と言うものを、まあ言い方を悪くすると例えば変質者との電話を相手を傷つけないよう、途中で機嫌を損ねないよう、なおかつ、相手側が依頼することに対して、つまりうちの会社にお金を払う意思を継続させたまま電話を終わらせるには、どんなアレな人が依頼主でも真摯に会話を成立させないといけないと思うんだ。ここまではわかる?」
「はい、そこまでは理解できます。いえ、ちょっと驚いただけなんです。もう一度お願いします。今度はちゃんと応対させていただきます」
「そう。じゃあ続けましょう。ええと、本日はそちらで人の依頼をしようとしてまして」
「…あれ、口調が」
「ごめん。飽きたんだ。我ながら気持ち悪いし。いいから続けよう。依頼をお願いしたいんですが、よろしいでしょうか」
「は、はい。かしこまりました。恐れ入りますが、お名前と会員番号をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「名前は二ノ宮優次で、会員番号は978番です」
「かしこまりました」
「あ、復唱しよう。そこは」
「はい。かしこまりました。会員番号978番の二ノ宮様ですね」
「ええ」
「それで、本日はどのようなご依頼でしょうか?」
「実はわたくし、妻を千葉に残して単身赴任しているところでして、恥ずかしながらホームシックにかかっているのです」
「なるほど」
「ああ、そこも復唱しようか」
「あ、はい。二ノ宮様は奥様を千葉に残し単身赴任していらっしゃる。そして、ホームシックにかかっているのですね」
「そうそう。で、やりとりはしているのですが電話している時間もあまりなく、妻がメール無精でして、そこのところをですね…それと、私は料理が全くできないので妻の手料理に飢えているのもあるんです。ここまでおかしいでしょうか」
「いいえ、おかいしとは思いません。奥様と電話する時間もなく、メール無精なのでやりとりにご不満と言うことでしょうか。そして、二ノ宮様はお料理に疎くて、奥様の手料理を召し上がりたいと思っていらっしゃる」
「そうなんです。で、まず最初にやりとりについてです。電話はまあ諦めていますが、メールはこれは『妻を装った誰か』でも構わないと思っているんです。で、頻度は1日1回でいいんですが、ある程度コアな新婚夫婦のような内容で、例えば『ああ~ん今日もひとりでさみしいよぉー、ゆうじくんとちゅっちゅしたいよぉ』のような感じの文章がいいです。でも、そこまでセクシャルになる必要はないです。妻はそこまで大っぴらじゃないので」
「…」
「ほら、どうした?止まっちゃだめだよ」
「奥様を装った誰かでもよいので、1日1回、新婚夫婦のような内容でメールのやりとりをするのですね」
「復唱しよう」
「…え、今しましたが」
「いや、じゃなくて、メールの要求された内容を復唱しようって」
「…あ、あの。もう一度お願いしてもいいでしょうか」
「『ああ~ん今日もひとりでさみしいよぉー、ゆうじくんとちゅっちゅしたいよぉ』」
「…」
「はやく」
「メールの、内容は…例えば、…『あーん今日も一人でさみしいよー、ゆうじくんとちゅっちゅしたいよー』…ですね」
「違う。『ああ~ん今日もひとりでさみしいよぉー、ゆうじくんとちゅっちゅしたいよぉ』だよ」
「…」
「復唱はお客様が言った通り一字一句間違えずに語尾のアクセントまでしっかりと!」
「『ああ~ん今日もひとりでさみしいよぉー、ゆうじくんとちゅっちゅしたいよぉ』ですね」
「はい。そうです」
「…すいません、二ノ宮さん、少しだけ休憩をいただいてもよろしいでしょうか。少しめまいがしてきました」
「別にいいよ。うーん。いや、気持ちはわかるんだあ。あたしも新入社員のころ同じ感じになったかもしれないしね。でもねえ藍沢さん、これは覚えていてほしいんだけど、お客様が言ったことをメモするじゃない。それは殴り書きでもいいんだけど。でも、その内容はどんなに字が汚くても、誤字脱字省略は一切なく、お客様が言った通りの口調とアクセントで繰り返してほしい。信用と言うものはそこから生まれるんだ」
「…そうなんでしょうか。いえ、お客様が言った通りの言葉は理解できるんですが、口調とアクセントまでは」
「いやいや。もしもこっちの派遣したメンバーがお客様の要求通りにできず、棒読みになってしまったらそこに不満と手違いが発生して、費用を全額支払えないと言いだすかもしれない。そういうクレームはとてもばかばかしいの。だって、それは電話交換手である私たちが原因の半分を担うんだからね」
「な、なるほど」
「でしょ?お客様はきっと勇気を出して発言することもある、台本をあらかじめ書いておく人もいるでしょう。ひょっとしたら夜中や明け方のテンションで恥ずかしい中二病の文章を用意した人もいるでしょう。でも、そこでお客様が望んでいることを馬鹿にしてはならない。そして、それを復唱する自分は冷静に、恥ずかしがってはならない。下手をするとあたしはお客様の要求を伺い、泣き声やあえぎ声をあげなくてはならないかもしれない。もし仮にその結果、課内で『二ノ宮がなんかテレフォンセックスしてる』と思われたとしても、それは仕事なんだよ。それは割り切って行こう」
「に、二ノ宮さんってすごい方なんですね」
「自分の限界はよく知ってるから。まあ今言ったのはあくまで最たる例。あたしの限界。これ以上は、シラフじゃ無理」
「…」
「もうちょっと休む?」
「い、いいえ、もう大丈夫です」
「じゃあやろう。それでですね、メールについてはそのような感じでやってほしいんですが、同じ、メールをしてくださる女性で結構なんです。その方にはまず最初に私の妻から、時間がかかってもよいので料理を習ってきてほしいんですよ。それで、料理を覚えて慣れたら私のところに来て、妻に習った料理を作っていただきたいのです」
「…メールをするのと同じ女性で、奥様より料理を習い、ある程度料理を覚えたら二ノ宮様のお住まいに出向させ、お料理をするのですね」
「はい。ですから、話は前後してしまいますが、最終的に私のウィークリーマンションに来てもらうのですから、妻と同じような背格好の女性がいいんですよ。ただ、『あくまでこの人は自分の妻ではない』ことは心に刻んでおきたいですし、間違いが起こってはおけないのでその女性には仮面舞踏会で使うようなヴェネチアンマスクをしていただきたいのです。いや、あるいはKKKの白頭巾のようなものでも構いません。能面も悪くない。最悪、紙袋をかぶってもらう、とかでも。あ、大丈夫です。目のところに穴は開けますから。でないと料理できませんもんね」
「…」
「復唱しよう?」
「…二ノ宮さん、真っ最中にすいません。本当にすいませんが、これはあくまで常軌を逸した場合の…これは、その設定は現実的にはありえないですよね?」
「ううん。こういう依頼はあたしは受けたことがある。だから例にした」
「あの、ちょっと待ってください。おかしいですよ。その人の言い分とかそういうのもそうですけど、だってこの方、奥様を通して会社のスタッフの女性に料理を教えるようにしたんですよね?会社にお金を払ってまで。問題になるに決まってるじゃないですか」
「いや、そりゃあたしも気になったから聞いたよ。『単身赴任中に奥様の料理を毎日食べたいからといって、スタッフとは言え女性がマンションに伺うのは、しかも奥様を通して、そのようなご依頼はご家庭の問題にはならないでしょうか』って。でも、いいって言われたから受けたよ」
「だって。そのあとのお客様の家庭は」
「そこまでは踏みいることはできないなあ」
「ちょっと待ってください、それ以前にこの依頼主の方は普通に生活していらっしゃる―」
「藍沢さん、そういうことじゃない。そういうことじゃない。うちの顧客に健常性と金の心配をしては、いけない。この会社に人材派遣を依頼する人は何か欠損してるから。うん。特に会員番号3ケタ前半の人たちは。『町田市にゴミ袋のことで金を払いたくないから月額630円で町田市以外のどこかに捨ててきてくれる業者替わりのスタッフを依頼したい。予算は月額630円のほかに別途20万まで』とか平気で言われるんだ。でも、その人たちを傷つけちゃいけないし、できることなら彼らの夢はかなえてあげないといけない。もちろん度を越しておかしいって思ったら言ってあげなきゃいけないけど。そういう企業理念だから。大丈夫。じきに慣れるから。自分がおかしくなるわけではないから。スレるかもしれないけど。あたしの真似をしてれば上手くいくし、出世も早いと思う。この部署に来てくれたんなら。この会社はそういう人たちがいなくならない限り大きくなり続けるから。頑張ろう。一緒に頑張ろう」
「二ノ宮さん、藍沢さんなんだけど胃痛がひどいから出勤できないって」
「あー」
「でも、治ったらちゃんと出勤するから二ノ宮さんによろしくって」
「…ほう」
「続きそうな子で良かったねえ」
…骨のあるやつも、いるなぁ」
「なんか言った?」
「いえいえ、なんか今日、骨がかゆいなあって」
フリーダイヤルにおつなぎします。しばらくお待ちください。
「お電話ありがとうございます、多目的人材派遣のKI-TSU-NEスタッフ、担当の二ノ宮優有でございます」
「お世話になっております、中根隆和と申します」
「あっ、中根様でしょうか、いつもありがとうございます。前回ご依頼していただきました『結婚式場にいきなりみすぼらしい男がやってきて騒ぎ立て、新郎が勇敢に撃退するがその矢先に新婦はその男がかつての恋人だったことに気づき、男の名前を一声呼ぶと男は万歳三唱をしてからその場を立ち去る』という寸劇はうまくいきましたでしょうか」
「はい、あれのおかげで式場では新郎がとても正義感があることで話が持ちきりになりましたし、新婦としてもトラブルはあったけれども誰しもの心に強く残る結婚式になった、とお互いに喜んでおります」
「それは良かったですね。私としましては新婦の親族が受ける印象が心配だったのですが、大丈夫でしたでしょうか」
「いいえ、彼女は彼女で若いころ遊んでいたことは両親はよくわかっていましたから、ああいうことが起こってもおかしくはなかった、と問題にはなりませんでした」
「本当ですか、お役に立てたようでほっといたしました」
「そして二ノ宮さん、今回も寸劇をしてくださる方々を依頼したいと思っているのです」
「本日もご依頼ということですね。誠にありがとうございます」
「恥ずかしながら、今回は私の身辺のトラブルが発端になっているのです」
「中根様の身辺のトラブルが原因なのですね」
「ええ、実は最近私、妻と折り合いが非常に悪く、離婚となる可能性があるのです」
「奥様と折り合いが悪いために離婚する可能性があるのですね」
「私にも非があるのはわかっています、わかってはいるんですが説得しても向こうも意固地なので和解までの道のりが遠いこと。今度、妻とそのことで真剣に談義する予定なのですがそのときのために二ノ宮さんにふたり、寸劇をしてくださる人の用意をしていただきたいのです」
「ふたり用意し、寸劇を行わせるのですね。ところで、諍いの原因は何なのでしょうか?」
「私の趣味に対する金のかけ方、が―」
「中根様、非常に申し上げづらいのですが前回の依頼内容だけでも12万強かかっているのですから、ここで弊社に依頼するのは火に油を注ぐ結果とはならないでしょうか」
「いいえ、それとこれは別腹です」
「別腹なのですね。かしこまりました」
「ええと」
「では、その内容と寸劇を行わせるスタッフについてお伺いしたいと思います」
「はい。今度、私が妻と話し合いを持つ機会、恐らくどこかのカフェになると思うのですが、話が煮詰まってきたころに私どもの隣のテーブルにいる学生服のカップルがケンカし始め、こちらの席で『離婚』というワードが出る直前にそのカップルが先に別れてしまった、という寸劇です」
「なるほど、流れとしては中根様ご夫妻の話し合いの隣の席に当社のスタッフを配置し、学生のカップルであると」
「いいえ、学生服ですが学生ではありません、私の予定では」
「…と、申されますと?」
「ブレザーを着ている男性は30代初め、女性は20代半ばでお願いしたいのです」
「中根様、仰っていることが少し私の理解を超えているのですが」
「いいえ、私の言った通りの解釈で構いません。制服に似つかわずのカップルを用意し、まあ内容は女性のほうが『ジーンズがくさい』とか『鼻毛が出てる』とか『一緒に食堂かたつむりを見に行ってくれない』のような内容ですね、男性の方は『うるせえ』と『金がない』の1点張り。ただ、男性の方のかばんは高級ブランド品、装着してるアクセサリーは目に見えてわかる高価なもの、ということで。あ、カフェでなくてもいいんですよ。少し高いレストランでもいいんです」
「中根様、軽くご意見なのですが、そういう企画物のAV的な配役を用意して茶番を行ったところで中根様の家庭のトラブルに一石を投じることができるとは到底思えないのですが」
「いいえ、離婚という結果になったとしてもその光景は私の心に強く残ることでしょう。横で行われている何か矛盾した学園ドラマが私の悲運を慰安してくれるならばそれだけでいいのです。希望的観測ですがその横で行われている不可思議現象に妻があきれ返り、『なんかもう離婚とかどうでもいいや』という気分にさせたならそれはそれで儲けもんではありませんか?」
「いやいや、それはねーよww」
「はい?」
「失礼いたしました、私の隣の席の者の声が入ってしまいました」
「ああそうでしたか、では、以上でお願い致します」
「中根様、私が簡素にこの依頼の見積もりをしましたが、15万をオーバーするのは確実なのですがそれはよろしいのでしょうか。この15万で奥様と温泉旅行にでも行ってプレゼントでもすれば少しは違うのではないでしょうか」
「いいえ、それとこれは別腹です」
「別腹なのですね。かしこまりました」
「15万なんて安いものです。公共の場で一種の羞恥プレイを押し付けるのだから、スタッフの方には臨時手当として倍額出しても私は平気ですよ。いえ、むしろ出しましょう」
「…ほう」
「来週の水曜夜でも大丈夫ですか?」
「時間的に問題はございません。ただ、こういうのが得意なスタッフの女性の方をよく知っているのですが、できれば顔が割れてしまうので話し合いの場所はこちらで「できない地域」を指定できないものでしょうか。20代半ばで演技力もありますし、高校生時代の制服も持っているので必ずお役にたてると思うのです」
「いいですねえ。ええ、私は別に、地域は問いません」
「では、こちらからスタッフを手配次第すぐにご連絡を差し上げます」
「わかりました。課長、お願いがあるんですが1週間ほど有給―」
「だめ」
「二ノ宮さーん、お客さまからお電話です」
「あー?」
「スタッフの依頼なんですけども、二ノ宮さんご指名でとのことです」
「何て人?」
「北条様です」
「…知らないなあ」
「でも、ご指名とのことだそうで」
「簡単に言うけどさあ、知らない人があたしを指名って言うのは、他の人の紹介でしょー?
紹介された人があたしのやり方を気に入らなくてクレームになったの、何回あったと思ってんの」
「いやー、私にそう言われましてもー」
「あーいい。代わる。ちょーだい」
「すいませーん」
「あ、二ノ宮さんですか?あのー私、北条と言うものですが二ノ宮さんにスタッフを依頼したくてお電話さし上げました」
「ありがとうございます。どなたかのご紹介でしょうか?」
「はい、知人が前に二ノ宮さんにスタッフを紹介していただいて、よかったと聞きまして先日私も会員登録をいたしました」
「それは、誠にありがとうございます。ご期待に添えるよう努力させていただきます。北条様、会員番号はご存知ですか?」
「2444番です」
「2444番ということですね、かしこまりました。北条悠太郎様ですね」
「はい、そうです」
「それでは北条様、スタッフ依頼についてお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「はい、あの、これは私のためのスタッフではなく、私の友人のために依頼してあげたいのです」
「北条様向けの手配ではなく、ご友人の方への代理依頼ということですね」
「そうなんです。で、私の友人が最近鬱病めいてきて、そばにいてとても心配なんですよ」
「ご友人の方が鬱病のようになってしまい、心が痛ましいということですね」
「はい、はい。それで、友人を励ますために、私だけでは心もとないので、スタッフの方に数名来ていただき、彼を励ましてほしいんです」
「わかります。北条様だけではなく、弊社のスタッフ数名により、ご友人を励ますのですね」
「そうです。ただ、勘違いしてほしくないのは、安易に『励ます会』などというような程度の低い集まりの中ではなく、彼をとりまく半年以上のスパンでひと月に一回あるかないか、くらいのペースで、そうですね、例えば彼の職場で、噂話でもいいんですが、『あの人こないだ電車の中でお年寄りに席譲ってたんですけど、そのとき熱が38度あったんですってー。思いやりのある人よねえー』とか、言ってもらいたいんです」
「ふーむ。安易に『励ます会』などを開催するのではなく、半年以上の期間において、月1以下のペースで噂話のような形で挟み込むのですね。例えば、ご友人の方の職場で、『あの人こないだ電車の中でお年寄りに席譲ってたんですけど、そのとき熱が38度あったんですってー。思いやりのある人よねえー』と言わせるとか」
「他には、コンビニのレジで、『この前、銀行の自転車置き場で強風で倒れていた自転車をご自分のだけでなく全部元に戻していましたよね?ああいうのはなかなかできないですよ』と、ふと店員がつぶやくとか」
「『この前、銀行の自転車置き場で強風で倒れていた自転車を全部元に戻していましたよね?ああいうのはなかなかできないですよ』とコンビニの店員がレジでつぶやく、と。わかります」
「あとは、『北条さーん偉いですねえ、見ましたよ?新年会でみんなが散らかした宴会席、ひとりで片づけてましたよね!本当、お店のことも考えてるんですねー!感動しちゃいました』とか」
「北条様、今、ご友人のお名前が『北条さん』だったような気がするのですが」
「いいえ?気のせいです」
「気のせいでしょうか。それは失礼しました」
「まあ、彼も大変というか、かわいそうなんですよ。ぶっきらぼうで人見知りが激しいから、たまにそういう気のきいたことをしたり、身を削って何かに親身になっているのに周りは見ていないし、そういうことを初めからする人間でないと偏見をもたれたり、ああ、俺は実はこんなに優しいのになあ、彼の不満は募るばかりですよ。それは鬱にもなりますよ。彼は本当に優しいんです。いい人なのにねえ。ああ、私はこんな環境に取り囲まれてつらい思いをしているのが本当に嫌になりましたよ」
「…そうですね」
「だってそうじゃないですか。仮に『俺、こないだ駅の階段で重い荷物を持ったおばあちゃんに一声かけ、荷物を持って降りてあげた。どうだい実は俺は優しいんだぜ?』と言ったところで、『うそばっかり』、とか、『作り話乙』とか、信じてもらえたとしても『そういうことを自分で言うからダメなんですよ』って言われたり。じゃあどうやって私がそんな親切をしたことが周りに伝わるというのでしょう。誰も見ちゃいねえし、口で言っても正当に評価されないし。じゃあどうやって私が心の清い人間だということをみんなに伝えることができるというのでしょう。あ、これは22歳の時の話ですが」
「北条様、先ほどから誰に向かって話をしていらっしゃるのですか」
「いえいえ、独り言ではありません。だっておかしいでしょう。私は自分がアメリカ人に生まれればよかったと思いますよ。間違いなく自己主張しても決して顰蹙を買わないでしょうに。ヘーイジョニー、俺、こないだバスの中で1万円をくずせなくてもうすぐ出発だ、どうしようっておろおろしてる女子大生がいたから1千円札をいっぱい持ってた俺は両替してあげたんだぜ?あのときは参ったよー、何度も『ありがとうございます』って、彼女がバス降りるときまで言われて。本当かいフォックス?そいつぁすげえや、キミのテンダーハートにはオージービーフもまっ青さ!HAHAHAHAHA!とか言われて、みんなが私を称賛してくれるでしょうに。あ、これは去年の話ですが」
「北条様、先ほどから誰に向かって話をしていらっしゃるのですか」
「いえいえ、だから私はそういう社会が嫌でしょうがなくなるときがあるんです。でも大丈夫、こちらのスタッフを手配していただいて私を、いや彼をときおり励ましてもらえるんであればこんな不安やカオスな気分ももうすぐ消失することでしょうて。あどのー♪ゆあのどぅりーぃーいまぁー♪いやあ、夢が広がるなあ」
「北条様、失礼ですが以前私とお会いしたことはなかったでしょうか」
「いえいえ、二ノ宮さんとは今日がはじめてです」
「そうですか。それは失礼いたしました」
「例えば二ノ宮さん、あなたが新宿のダーツバーで投げっぱなし980円で遊んでいたとします。一緒に来ていた友達がトイレに行きました。となりのライヴでやっている大学生が暴投してしまいこちらの台にダーツが飛んできて落下した先は自分が遊んでいる台の真下の隙間で、入り込んでしまったと。当然あなたも隣も集まってその下のダーツを拾おうと思うでしょう。しかし奥に入り込んで取れない。店員はレジにはまっておりすぐに来れない。そのとき、腕の長いあなたは床にはいつくばってボールペンを手に持ち、擦り傷を負いながら隙間をひっかきまわしやっとこさダーツを拾って隣に渡します。『ありがとうございます!』と言われるでしょう。しかしその2,3分後に隣の大学生はもう帰ろうぜ、とぞろぞろ帰り出しました。あなたには、『すいません、ありがとうございました!』と。そして彼らがいなくなってトイレから友人が戻ってきます。そしてあなたは武勇伝のように『これこれこうなってダーツ拾ってやったんだぜ?手の甲に擦り傷できちゃったよ』と言います。そして友人は『ふーん。大変だったね』と無関心に言います。そんな理不尽な話がありますか」
「北条様、わたくし、知人からそのような全く同じ話を聞いた記憶がなんとなく残っているのですが」
「いえいえそれは偶然でしょう。例えばこんなこともありました。私は昨日、一昨日と入念にクッキーとパウンドケーキと焼きメレンゲを作っていました。わざわざきび砂糖とアーモンドプードルと高級無塩バターを買って。バターの融解がこの気温のため悪くレンジや湯煎を活用し必死で初めて作るスイーツ(笑)に苦難し、やっとこさ焼きあがったと思ったら予想以上に見栄えが悪く味も自分好みではなかった。どうしようどうしよう大丈夫かなあ、クッキーもレシピを崩して5分長めに焼いて文句を言われないようにしたら、自分が求めていたのとは別のものができてしまった。ああ、おいしいと言ってくれるかなあ、食べてくれるかなあ、とそんな気持ちで持っていったら藤沢の職場と鎌倉の職場では非常にウケがよくあなたはやっと微笑みます。そして最後に湘南台に持って行ったら仲のよいバイトがほとんどおらず、面識が薄い人ばかりでさきほどの2店舗と比べそこまで喜ばれなかった。そしてめんどくせえ同僚の社員に『この人はこういうもんを徹夜して作ってきて、こないだ遅刻してたからねえ。本当すごいと思うよ』と言われたとしましょうか。私が破壊衝動に駆られたとして、誰が責められるというのでしょう」
「あなた、うちの社長でしょう?」
フリーダイヤルにおつなぎします。
しばらくお待ちください。
「お電話ありがとうございます。多目的人材派遣のKI-TSU-NEスタッフでございます。担当はわたくし、二ノ宮優有でございます」
「もしもし?わたくし、大田と申しますが派遣スタッフを依頼したいのですけれども」
「派遣のお問い合わせですね。ご利用ありがとうございます。大田さまは会員番号はご存知でしょうか?」
「…ちょっとお待ちください、はい、あ、わかりました、2204です」
「2204番は、はい。お調べいたします。おととい会員登録をしていただいた大田尚子様ですね。それでは恐れ入りますが、ご利用目的とご希望をお伺いしてもよろしいですか?」
「あのう、単刀直入に言いますけど、私の息子のことで、今高校2年生で演劇部に在籍していて、3週間後に舞台に参加するんです」
「大田様の高校2年生の息子さんが演劇部の舞台に参加なさるのですね」
「ええ、それでですね、本人はともかく、私自身が息子に与えられた配役に対して納得がいかないんです」
「息子さんの配役に大田様が納得がいかないのですね。それはなぜでしょうか」
「息子の役が、木の役だからです」
「・・・失礼ですが、高校生とお伺いしましたが演劇部の舞台の配役で木の役、なのでしょうか?」
「そうでしょう!あなたもそう思うでしょう!?ええと、お名前何とおっしゃいましたっけ!?」
「わたくしは二ノ宮と申します。なるほど、今の話だけを聞くと大田様が憤りになられるのも仕方がないと存じ上げます」
「そうでしょう!二ノ宮さん、私は大事な息子が木の役をやるというだけで信じられないし、家によく遊びに来るという息子の友達というのも決してまじめそうには見えません、ひょっとしたら息子がいじめに遭っているのではないかって心配になったんです、だってそうでしょう」
「息子さんのご学友の皆様は大田様には不真面目な印象で、いじめに遭っているかもしれないということなのですね」
「そうなの、もうそういうのを想像するだけで腹がおさまりません、あなただってそうでしょう」
「話の最中で気になったのですが、息子さんが木の役を与えられたことについて、その配役はどなたが決定し、息子さんはどのような心象なのかおわかりでしょうか」
「ええ、それはもう部活内全員で決まったことらしく、息子もそれを甘んじているんです」
「部活内全員の総意であり、息子さんもそれで納得しているのですね」
「しているとは思えません!常識的に考えてありえないでしょう、きっと息子は無理やりその役を押し付けられたに違いありません!」
「なるほど、穿った見方では押し付けられた役かもしれないということですね、わかります」
「こほん、それで派遣スタッフの方をひとり、ご用意していただき、手配がすみましたらその人を息子の代わりにしたいのです。息子にはもう演劇部はやめさせます。息子よりその人のほうが役に適していると見なされれば何の問題もないはずです」
「息子さんの代わりに木の役で舞台に立つ派遣スタッフをご用意するのですね。かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
「信じられないわ、うちの息子にそんな・・・話をしているだけで腹が収まらないわ」
「ところで大田様、その依頼内容は息子さんはご理解いただいているのでしょうか?こちらがご要望を受け違えていると思わぬトラブルになりかねます。できることなら私がそちらに伺い、大田様のご要望と息子さんの状況を教えていただき、息子さんからもご意見を頂戴したいと思うのです」
「いいえ、それは結構です。息子は木の役が与えられたことにニヤニヤ笑いながらはしゃいでいて、きっと私の思いなどわかってくれないでしょう、かわいそうに、騙されていて」
「・・・はて、息子さんは配役に納得しておりさらにははしゃいでいらっしゃると。失礼ですが、それを止める必要は果たしておありなのでしょうか?」
「あたりまえでしょう!!私の話を聞いていなかったんですか!?」
「とんでもございません、お話は内容をしっかり聞き、控えています。質問を変えてもよろしいでしょうか、息子さんが出演なさる舞台は、どのような舞台なのでしょうか」
「そうです!言い忘れていました、舞台の内容もとてもひどいんです。息子がメインで出るシーンはもっとも盛り上がるシーンで男性が女の人を思い切り蹴り飛ばすとか。とても暴力的な話なんです。息子はそのシーンでずっと立っているんです。そんあ馬鹿な話がありますか」
「・・・もうひとつ質問いたしますが、息子さんの配役の木とは、ひょっとして松なのではないでしょうか」
「ええ!?どうしてわかるんです!?」
「・・・金色夜叉」
「はい!?」
「えー。わかりました。わたくし、全て理解いたしました。ええと、息子さんは、それははしゃぐのも当然かと思います。そのシーンがある限り、息子さんはその舞台で誰よりも目立つでしょう。間違いありません」
「意味がわからないわ!どうして目立つもんですか、そんな暴力的なシーンで!」
「わたくしの話を聞いてください。息子さんはいじめに遭っておりませんし配役に対し一切の陰りもございません。よろしいですか、息子さんは『おいしい』んです。役に喜んでるんです。その役で舞台に立たせるべきです。それが息子さんにとって一番良いと考えます。わたくしの判断では今回のご依頼はお受けすることはできません」
「何ですって!!信じられない、こんなに悩んでいて、親身になって聞いてくれていると思っていたのに依頼を断るなんて!」
「その役で舞台に立たせるべきです」
「こちらは会員になって金を払う側なのよ!どうしてあなたにそんな権利があるのかしら!!」
「その役で舞台に立たせるべきです」
「いい加減にしなさい!もういいわ、今日限りで会員はやめさせていただきます!何ていうひどい態度なのかしら!!」
「その役で舞台に立たせるべきです」
「ふざけないで!あなた、お名前何とおっしゃいましたかしら!」
「わたくしは二ノ宮と申します」
「二ノ宮さん!あなたの言っていることは完璧に的外れだわ!!」
「その役で舞台に立たせるべきです」
「あなたじゃ話にならないわ!上司と代わりなさい!」
「その役で舞台に立たせるべきです」
「聞いているの!?もっと上の人に代わりなさい!!」
「その役で舞台に立たせるべきです」
「きー、もう我慢できないわ!!KI-TSU-NEスタッフさんごと告発してやるわ!!」
「その役で舞台に立たせるべきです」
「私の知り合いには新聞社に勤めている人もいるのよ!どうなるか覚えてらっしゃい!!」
「その役で舞台に立たせるべきです」