狐さんの自由律詩 <旅情編>
「京王線の坊や」
その日、私は総武線に乗っていました。
私の目の前の座席には5歳くらいの男の子と、その母親とおぼしき女性がおりました。
私は千葉を目指していました。そして、うとうとと船をこぎだしておりました。
すると、目の前の男の子がこのように騒ぎだしたではありませんか。
とても言葉にしづらい嬌声でしたので私なりに翻訳を致しますと、このようなことでした。
「お母様、私たちはどこへ向かっているのですか。私が今乗っている電車は、なに線なのですか。私は京王線に乗りたいのです。京王線ではないのですか。京王線でなくてはいけません。私は京王線に乗りたいのです」と。
母親はこう諭しておりました。「坊や、私たちが今乗っているのは総武線なのですよ。総武線でないと目的地へ着かないのですよ。京王線では、ないのですよ」と。
坊やはまだ、納得がいかないようです。けれど私は、ただ五月蠅いなあとは思わなかったのです。
これほどの幼子が、自分は京王線に乗りたいのだと。京王線でなくてはいけないと主張できるというのは、すばらしいことなのではないでしょうか。よろしいでしょうか皆様。かれの言っていることはただの幼子の我儘なのでしょうか。私はそうは思いませんでした。
かれの言葉はとても強いものでした。それはそれはとても、金剛のような強さ。
きっと彼は大人になるにつれ、自我の奥底に「自分が乗りたい電車路線は、京王線である」と深く深く強く心に刻み込んでいくことでしょう。私は少しだけ確信しているのです。
私には聞こえるのです。かれの今よりずっと未来、きっと70年も先の話。
かれの今際の際の言葉、「嗚呼、京王線、乗りたかったなあ」と。
んなわきゃねえだろ。